構造生物 Vol.2 No1
1996年4月発行

構造解析のための蛋白質作成技術(2)
一バキュロウイルスー昆虫細胞系を用いた蛋白質の大量発現一


岩浅 央

萬有製薬株式会社づくば研究所

遺伝子組換え技術をはじめとする分子生物学の進歩は、それまでX線結晶解析や NMR等による立体構造解析のターゲットとはなりえなかった様な生体内で極微量に しか存在しない蛋白質をその解析対象とすることを可能にした。このことは、分子 生物学や細胞生物学分野の研究者に、自分の扱っている遺伝子の産物が近い将来構 造解析の対象となることをいつも頭の片隅に意識させることになった。また、(試 料を提供する側の人間が言うのも生意気かもしれないが)大きな蛋白質の各機能ド メインを別々に発現させたり部位特異的変異体を作成したりすることや、NMRにお ける同位体標識体、X線結晶解析におけるセレノメチオニン標識体等の利用によっ て、構造解析研究自体の幅をも大きく広げることになったと思う。この様なリコン ビナント蛋白質の大量発現系として最も簡便でかつ安価なものは、なんといっても 前回紹介された大腸菌を用いたシステムであり、何か蛋白質を大量に作成したいと 思ったら、まず大腸菌の系から試すべきであろう。

ところが、この文章をお読みになっている方々が「ああ、立体構造が知りたい」 と考える蛋白質というのは往々にして真核生物由来である場合が多く、特に筆者の ような製薬会社の人間としてはヒトの蛋白質が興味の対象となりがちである。しか しながら、大腸菌は原核生物なので動物等の真核生物由来の蛋白質を発現させると 正しいフォールディングを取れないことが多々ある。前回のこのコーナーで紹介さ れたような種々の方法を試しても改善されないときは、仕方がないので真核生物を 用いた発現系を使わなくてはならない。哺乳動物の蛋白質は、哺乳動物の細胞で発 現させればほぼ確実に正しいフォールディングをとり、糖鎖付加等の翻訳後の修飾 も天然型とほとんど同様のものが得られる(これはこれで高度に糖修飾された蛋白 質等では構造解析にデメリットになることもある)ことはわかってはいるが、一般 的な哺乳動物細胞を用いた発現系では構造解析に使えるほどの大量発現は期待でき ない。数少ない使えそうなシステムとしては、ワクシニアウイルスを用いた系、遺 伝子増幅を利用したCH0(チャイニーズハムスター卵巣)細胞の系があるが、ワク シニアウイルスはヒトにも感染するので、神経を使うし、発現させる遺伝子によっ ては封じ込めレベルが高くなり施設面での問題が発生する事がある。一方CH0細胞 の系は目的蛋白質を発現する細胞を継続的に維持でき、蛋白質の工学的生産にも用 いられているが、高発現のクローンを得るまでにかなりの手間と時間と費用を要す る。そこで「もっと手軽な」真核細胞を用いた大量発現系として注目すべきものに、 酵母の系とバキュロウイルスー昆虫細胞系がある。今回紹介するバキュロウイルス 発現系は、上記の哺乳動物細胞系よりはお手軽である上に、目的とする蛋白質を大 量にしかも多くの場合本来の生物学的粋一生を保持した状態で発現できるため、近年 脚光を浴びているシステムである。最近では簡便なキットが市販されて、多くの研 究室でルーチンに用いられる技術になりつつあり(とは言っても大腸菌の系に比べ ると繁雑で費用もかかるが)、この発現系を用いて産生された蛋白質をX線結晶構 造解析に用いた例もいくつか報告されている(表1参照)。筆者もキットから入っ たひとりであり、バキュロウイルス系を使い始めて2年半足らずなので、この様な 文章を書くのはおこがましいのではあるが、以下この発現系の概略と注意点を述べ させていただく。

1. バキュロウイルスとはなにか?

リコンビナント蛋白質の分野でバキュロウイルスと言えば、核多角体病ウイルス (Nuclear Polyhedorosis Virus: NPV)と呼ばれる昆虫の二本鎖DNAウイルスのことで ある。このグループのウイルスは感染細胞の核内に多角体と呼ばれる封入体を大量 に作る特長がある。多角体はポリヘドリンと呼ばれる蛋白質から成り、その発現量 は感染後期に全細胞蛋白質の半分近くにも達すると言われている。多角体は内部に 多数のウイルス粒子を包み込んでおり、宿主から外界に出ても中のウイルスは紫外 線などによる不活化から保護される。多角体は自然界でのウイルスの生存には不可 欠であるが、ウイルスの増殖そのものには必要ではなく、代わりに発現させたい外 来の遺伝子を組み込んでも感染増殖に支障はない。そこでこのポリヘドリン遺伝子 の非常に強力なプロモーターを利用して昆虫細胞内でリコンビナント蛋白質の合成 を行なわせるのが、バキュロウイルス発現系というわけである。現在普通に用いら れているのは、ベクターとして夜蛾科のバキュロウイルスAutographa californica NPV (AcNPV)を、感染細胞として同じく夜蛾科の卵 Spodoptera Frugiperda の幼虫由来のSf9を用いたシステムであるが、日本で開発されたカイコ( Bombix mori )の核多角体病ウ イルスBmNPVを使用した系もある。後者は組換え体ウイルスをカイコの幼虫に直接 接種することによって(高価な血清を含む培地を使用した大容量の培養をしなくて も)大量に産物を得ることができるという利点があるが、カイコ幼虫の入手や飼育 法が世界的に見ると一般的でないことやカイコ由来の細胞株の増殖速度がSf細胞に 比べて遅いことからか(組換え型ウイルスを作成、増殖させる段階では培養細胞を 使用しなければならない)いまひとつ流行っていない。その結果キットの開発やベ クターの改良もあまり盛んではなく、使用例は少ない。筆者もAcNPVの方しか使っ たことがないので、以下AcNPVの系についてのみ述べる。

2. 実際は何をするのか?

詳細な実験方法については、他にすぐれた解説書もあるし、実際に始めようとす る人はキットを購入すれば丁寧な説明書が付いてくるので、それらを参照して欲し い。最近のキットの説明書はよくできているので自分が使わないキットの説明書も 手元に置いておくとちょっとした教科書として役に立つ。

a. 細胞培養

昆虫細胞は26〜28℃に保てるインキュベーター内で培養する。CO。は不要である。 S. frugiperda 由来のSf9細胞が最もよく使われており、文献等も豊富なので、まずこの細胞を用いてみると良いと思う。同じ S. frugiperda 由来のSf21はSf9よりも大きく、発 現させる蛋白質によっては収量が上がると言われているが、増殖は多少遅い。Sf9は ATCC(Ameican Type Culture Conection)から購入可能である。キットに細胞が付いて くる場合もあるがキット付属の凍結細胞は回復が悪いので、近所にこれらの細胞の 培養をしている人がいたら継代中のものを分けてもらった方がよい。また、 Trichoplusia ni 由来のHigh Five(Invitrogen)という細胞は分泌性の蛋白質では25倍程度までの発現量の増加の可能性がある(とカタログには書いてある)。どの細胞も付着、浮遊のどちらの状態でも培養可能である。付着の場合は普通の組織培養用のプ ラスチック製フラスコで培養できるが、Sf細胞の場合、メーカーによっては接着性 が良すぎて細胞を剥がしにくいものがあるので注意が必要である。浮遊培養は、ス ピナーフラスコを用いるのが一般的であるが、少量の場合は三角フラスコ(500m1の フラスコに200m1の培養位まで)にロータリーシェーカー(レシプロ型は不可)の組 )み合わせても十分いける。培地は通常はGrace's mediumかTC-100にウシ胎仔血清を1O %入れたものを使用するが、比較的血清を“選ぶ"のでロットチェックは必ずした 方がよい。また無血清培地(SF-900II, GIBCO; Ex-Ce11401, JRH等)もある。培養方 法の詳細は経験者に直接教わるのが一番良い。バキュロウイルスの系の成否はかな りの部分が細胞の調子にかかっているので、細胞の維持には細心の注意を払うこと が必要であり、慣れないうちは経験者に時々細胞の調子を見てもらった方が望まし い(そのうち自分でも顕微鏡で覗くと細胞の御機嫌がわかるようになる)。

b.組換え型ウイルスの作成(図1参照)

バキュロウイルスの遺伝子は約130kbもあるので、発現させたい遺伝子をポリヘド リンプロモーターの下流に直接挿入することは通常の試験管内でのDNA操作では不 可能である。そこで目的遺伝子を一旦トランスファーベクターと呼ばれるプラスミ ドに組込んでからウイルスゲノムDNAと共に昆虫細胞にコ・トランスフェクション する。トランスファーベクターはクローニングサイトの前にポリヘドリンプロモー ターとその上流域の配列、後にはポリAシグナル及びその下流の配列を持っており、 月その部分はウイルスDNAと同一の塩基配列であるため、相同組換えにより組換え型 ウイルスが生じる。トランスファーベクターにもいくつかの種類があり、挿入遺伝 子の産物が本来の形で発現されるタイプと、ポリヘドリンのN末端の配列や、 (His)6-tag、昆虫の分泌型蛋白質のシグナルペプチド等との融合蛋白質として発現させるタイプがある。挿入する外来遺伝子としては、イントロンのスプライシングは起こることが報告されている狐連続したcDNAのほうが発現効率は良いと言われて いる。融合型ベクターを利用する場合は翻訳フレームが合うように入れればよいが、 非融合型の場合は開始コドンを含む遺伝子を組込む。このとき51非翻訳領域は出来る だけ取り除き、クローニングサイトのなるべく上流寄りの制限酵素サイトに入れた ほうが発現効率が上がる様である。終止コドンはベクター側にあるものが多いが、 産物のC末端に余計なアミノ酸が付くのが嫌な人は終止コドンも含む配列を挿入す る。ポリAシグナルはベクターに有るので無くてよい。コ・トランスフェクション にはリボフェクション法を用いるのがDNA量が少なくてすむ。Df細胞には CellFECTIN(GIBCO/BRL)が最も相性が良い様である。

コ・トランスフェクション後3,4日するとウイルスが培養上清に出てくるので、 これを回収し、プラーク法により組換え型ウイルスを選択純化する。ウイルスを含 んだ上清をシャーレに蒔いた昆虫細胞に感染させ、低融点アガロースを重層して培 着しておくとプラークができ、ニュートラルレッドで染色するとプラーク以外の細 胞が赤く染まってプラークが良く見えるようになる。かつて、コ・トランスフェク ションに野生型のウイルスDNAを環状のまま用いていたころは多角体の有無(野生 型ウイルスは多角体を作るのでそのプラークは白っぽいが、組換え型ウイルスは多 角体を作らないのでプラークが透明になる)を利用して組換え型ウイルスを選別し ていたが、その識別にはかなりの経験を要する上に組換え効率も低く(O.1〜1%)、 初心者にはかなり困難な作業であったと伝え聞いている(実を言うと筆者はやった ことがない)。しかし、現在では、ウイルスのDNAを適当な制限酵素で切断するこ とによってウイルスの増殖に不可欠な遺伝子の一部を欠損させたDNAを用いること により、コ・トランスフェクション後の培養上清には相同組換えによってレスキュー された(トランスファーベクターには欠損した部分のウイルス由来の配列が含まれ ている)組換え型ウイルスのみが出てくるシステム(Bacu1oGo1dKit,Phanungen; BacPAK System, C1ontech; Bac-N-B1ue DNA, Invitrogen)があるので安心してよい・こ の方法では組換え型ウイルスができていれば、たいていの場合コ・トランスフェクショ ン後の上清を回収する段階で、ウェスタンブロッティング等により目的蛋白質の発 現を確認することができる。欠損を導入したウイルスDNAを用いるシステムでは理 論的には得られたウイルスはすべて組換え体であることになるが、目的の蛋白質を 発現していないウイルスが混じっていることがあるので、1回はプラーク純化を行 ない、3、4個のクローンを拾って発現を調べたほうがよい。なお、ウイルスDNA はロットにより“はずれ”があるので注意されたい。

なお最近、Bac-to-BacSystemという新しいタイプのキットがGIBC0/BRLより発売さ れている。このシステムでは、まず発現させたい遺伝子を大腸菌のトランスポゾン Tn7の両末端の配列を持つドナープラスミドに組込み、これをTn7のターゲットサイ トと大腸菌での複製起点を組込んだバキュロウイルスDNA(バキュロウイルスシャ トルベクター=バクミド)を持つ大腸菌に導入する。この菌にはトランスポザーゼ を発現するヘルパープラスミドも導入してあるので、菌体内でドナープラスミドの 目的遺伝子を含む領域がトランスポザーゼの働きによってバクミドに転移し、組換 え型バクミドが得られる。バクミドは大腸菌から精製して昆虫細胞にトランスフェ クションすれば、そのままウイルスとして増殖可能である(詳細はLuckowらの文献 参照)。この方法ではウイルスDNAへの外来遺伝子の挿入を大腸菌内で行なうため、 時間が短縮できることと、この段階でクローン化されていることになりプラーク純 化の必要がないことが利点と考えられる。筆者は使ったことはないが、発現させた い遺伝子を組込んだドナープラスミドがあれば1週間で組換え型ウイルスの最初の ストックが得られるとカタログには書いて李るので試してみると良いかもしれない。

c. 目的蛋白質の発現

まず、以上の様にして得られた組換え型ウイルスを次第にスケールアップして増 やし、高タイター(1×108p1aqueformingunits/mlは欲しい)のウイルスストックを得 る。このとき、あまり継代数を多くすると変異株が出現し発現効率が低下するので、 6代以上は継代しない方がよいと言われている。ウイルスストックは-80℃で半永久 的に保存できるが、凍結融解によりタイターが下がる。4℃でも2年間位は保存可 能なので当面使用する分は凍結しない方がよい。

いよいよお待ち兼ねの蛋白質の発現である。バキュロウイルス発現系での組換え 型蛋白質の収量は蛋白質の種類によって大きく違い1リットルあたり0.1〜500mgと 言われているが、普通は1〜10mgの範囲に落ち着くことが多い。効率の良い発現のだ めには1細胞あたりになるべく多くのウイルスが感染するようにすることが必要で ある。通常はMOI(Multiphcity of Infection)を5〜10にする。また、欲張って細胞の密度があまり高くなってから感染させるよりも、対数増殖期にある状態で感染させた方 が発現効率が良い。組換え型蛋白質の発現は感染後48〜72時間でピークになると言 われているが、蛋白質の種類によって異なることも多いのでタイムコースをとって みた方がよいと思う。分泌性の蛋白質を発現させる場合は、ウイルス感染後24時間 位で無血清培地に交換すると後々の精製が容易になる。その他、浮遊培養の場合は エアレーションの具合がかなり発現量に影響する様で、スピナーフラスコの種類や 液量等でも変わってくる。組織培養用フラスコ位のスケールで発現させているうち は収量が2倍程度変わってもたいしたことはないと感じるが、構造解析に使う蛋白 質をとる様な大量培養のときは、例えば20リットルが10リットルで済むというのは 大きな差なので、最適な発現条件を探すのは大切である。また、先に述べた様な収 量増加の可能性がある別の細胞を試してみるのも価値がある。

d. 発現された産物について

バキュロウイルス発現系は真核生物である昆虫の細胞を用いるので、真核生物由 来の蛋白質の場合でも、多くの場合正しいフォールディングをとっていると考えら れる産物が得られ、ジスルフィド結合も天然型と同じ様に形成される。また、大腸 菌では無理な翻訳後の修飾も期待でき(天然型と全く同じという訳にはいかないが)、 発現産物のリン酸化、脂肪酸の付加が起こる。シグナルペプチドは正しく認識切断 され分泌も起こる。糖鎖の付加については、Asn結合型糖鎖は複合型までプロセッシ ングは進まず高マンノース型の糖鎖となり、Tq/Ser結合型糖鎖は付加されないと言 われている(例外もあり、ヒトプラスミノーゲンの発現例では複合型糖鎖にまでプ ロセスされるとの報告がある)。そのためバキュロウイルスの系で発現された糖蛋 白質は天然型に比べて若干(糖鎖部分の)分子量が小さくなる傾向があり、天然型 よりも結晶化に向いているかもしれない。

以上、あまりまとまりのない文章になってしまったが、バキュロウイルス発現系 の概略はわかっていただけたと思われる。どんな蛋白質でも大量にしかも天然型と 全く同じ生理活性のものが発現されると保証はで.きないが、大腸菌でうまくいかず に他の発現系を検討している人は一度は試してみる価値はあると思う。なお、バキュ ロウイルスは脊椎動物や植物には全く感染しないし、組換え型ウイルスは多角体に 保護されていないので外界では容易に不活化されるため安全性は高く、大腸菌を用 いた普通の遺伝子組換え実験と同等の指針に従って実験できる。しかし、現段階で は機関承認実験なので、始める前に貴研究所の安全委員会等にお問い合わせをお忘 れなく。

参考文献


ご意見、ご要望などは下記のアドレスにメールを下さい。
sasaki@tara.met.nagoya-u.ac.jp